教育のこと

人を育てるのは難しいことや、と父の口癖。教育は必要、でも本人のやる気や、周りの友達や家族の気持ち、タイミングと本人の趣味嗜好や師との相性や、いろんなものとの兼ね合いで結果が出る。こわいことに、結果が出るまでには何年もかかる。そりゃ難しいもんやわな。

朝の連ドラ「梅ちゃん先生」の学校に行くかどうか問題を見ながら、教育を考える。

「人をつなぐ」流行

「人をつなぐ」という。コミュニティとか、つなぐとか、絆とか、そういうのが一種の流行になっている。違う世界の人をつなぎたい、と優秀そうな人が言う。キラキラした表情をあちこちで見る。正直なところ、少しその空気になじめない。優秀な人がもっている自信への嫌悪感かも。自信は、知識量と若さに裏付けられていて、両刃の破壊力をもつ。若さの持つパワーは素晴らしい。でも、若いうちに目上の方への技や背負ってきたもの、引き受けてきたものを本当に理解できるのか。人をつないだ後、人間関係の中で起こりうる機微を吸収できるのか。そんな簡単に人をつなぐとか言うなと思う。

ハジメテン

初めて生ハジメテン。バブル世代の遺産みたいな町で、洒落たビルのオープンカフェわきの会場。入ってみたら、あまりの空気の違いに最初ちょっと戸惑って、だんだん超楽しくなった。

アホやなーっていうのが直感的な感想やけど、よく見てたら、わざとアホなことをできるようにしてる感じがして、作家さんそれぞれ真摯やなぁと思えてしまった。それぞれの作品は、きっと各作家さんの、各作品の途中なのやと思う。奈良さんのドローイングが数年後に違う絵になるみたいに、きっとどれもまったく違う超すごい作品に生まれ変わるんやろうなー

そういう途中に立ち会えるのも、やっぱ幸せ。オオカミと、ピンクの舌のネコと、海が、私的ヒット。

荒木経惟「センチメンタルな空」

ラットホールへ。空の写真のスライドショーを前に、動けなくなる。生きて、撮り続けて、空や人を見続けている荒木さんの写真たち。空の写真にうつっているのは龍なのか、女神なのか、単なる空なのか、思い出なのか、見ているこちらが一気にどこかの世界に連れていかれる。無音の空間の中で、自分に向き合わされる感じがして、ほんとうにセンチメンタル。

簡単に表せない大きな気持ちでいっぱいになる。Iさんから伝えられなかったら、荒木さんの世界にここまで触れることはなかったかもしれない。だからIさんは、本当にありがたい人。

奈良美智:君や僕にちょっと似ている

奈良さんの個展へ。今、同時代に生きていること、それから奈良さんの作品を見続けられることを幸せに思う。

マイベストを決めなくちゃいけないとしたらIn the Milky Lake あぁでも真夜中の巡礼の彫刻も好きやし、レトロな額縁の小さいのも良かったし、寝てる子の大きいのとか、ドローイングとか、常設で昔のを見られたのも幸せ・・・とか、ずっと余韻にひたる。

何がすごいって、やっぱりたくさん描いてきはったことがすごい。

レゾネを通じて、まったく同じに見えるようなドローイングが、何年か経て、色を重ねて一枚の絵になることに驚いた。今回の展覧会では、何枚もの絵を描いているから、顔のどの角度のことも分かって、彫刻も作れちゃうんやなと思った。印象に残る数々の目。一枚の作品の前に立つと、たくさんの目がすり抜けていくイメージが湧いてくらくらする。

たくさん描く中から、何かが抽出されているのやろう。だから”君や僕にちょっと似ている”なにものかの絵になる。それって、仏像にも通ずるんちゃうか。60歳、70歳、80歳になった奈良さんの絵は、きっともっとすごい。

紀州 中上健次

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)一夏かけて読了。熊野の旅もふまえて、自分の中で奈良と和歌山の風土の違い、差別性の違いが整理される。

部落差別は、奈良で育つ中で避けられず向き合わされるものやった。東京9年暮らしから奈良に戻って、改めてそれを思い出す。中上健次は部落差別の根を探して、紀州を旅する。書き出された熊野の差別は、奈良とは根本的に違う感じがした。

まだ理解を深められていないけど、奈良は穢れの意識はあるし、職業の貴賤だって背負わせるけど、裏腹に神との近さ、生命の根源的なものに触れる人への尊敬も含ませる感じがする。例えば、芸能神事を担うのが部落の人びとだったらしいこととか。

熊野は違う。もっとどうしようもなさを背負わされる感じ。人間としての社会生活が成り立たないくらい。中上健次聞き書きしながらたどりつくのは言葉の無力さで、おそろしい著作やと思う。熊野は、縄文時代の原始の感覚につながるらしい。