荒木経惟「センチメンタルな空」
ラットホールへ。空の写真のスライドショーを前に、動けなくなる。生きて、撮り続けて、空や人を見続けている荒木さんの写真たち。空の写真にうつっているのは龍なのか、女神なのか、単なる空なのか、思い出なのか、見ているこちらが一気にどこかの世界に連れていかれる。無音の空間の中で、自分に向き合わされる感じがして、ほんとうにセンチメンタル。
簡単に表せない大きな気持ちでいっぱいになる。Iさんから伝えられなかったら、荒木さんの世界にここまで触れることはなかったかもしれない。だからIさんは、本当にありがたい人。
奈良美智:君や僕にちょっと似ている
奈良さんの個展へ。今、同時代に生きていること、それから奈良さんの作品を見続けられることを幸せに思う。
マイベストを決めなくちゃいけないとしたらIn the Milky Lake あぁでも真夜中の巡礼の彫刻も好きやし、レトロな額縁の小さいのも良かったし、寝てる子の大きいのとか、ドローイングとか、常設で昔のを見られたのも幸せ・・・とか、ずっと余韻にひたる。
何がすごいって、やっぱりたくさん描いてきはったことがすごい。
レゾネを通じて、まったく同じに見えるようなドローイングが、何年か経て、色を重ねて一枚の絵になることに驚いた。今回の展覧会では、何枚もの絵を描いているから、顔のどの角度のことも分かって、彫刻も作れちゃうんやなと思った。印象に残る数々の目。一枚の作品の前に立つと、たくさんの目がすり抜けていくイメージが湧いてくらくらする。
たくさん描く中から、何かが抽出されているのやろう。だから”君や僕にちょっと似ている”なにものかの絵になる。それって、仏像にも通ずるんちゃうか。60歳、70歳、80歳になった奈良さんの絵は、きっともっとすごい。
紀州 中上健次
紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)一夏かけて読了。熊野の旅もふまえて、自分の中で奈良と和歌山の風土の違い、差別性の違いが整理される。
部落差別は、奈良で育つ中で避けられず向き合わされるものやった。東京9年暮らしから奈良に戻って、改めてそれを思い出す。中上健次は部落差別の根を探して、紀州を旅する。書き出された熊野の差別は、奈良とは根本的に違う感じがした。
まだ理解を深められていないけど、奈良は穢れの意識はあるし、職業の貴賤だって背負わせるけど、裏腹に神との近さ、生命の根源的なものに触れる人への尊敬も含ませる感じがする。例えば、芸能神事を担うのが部落の人びとだったらしいこととか。
熊野は違う。もっとどうしようもなさを背負わされる感じ。人間としての社会生活が成り立たないくらい。中上健次が聞き書きしながらたどりつくのは言葉の無力さで、おそろしい著作やと思う。熊野は、縄文時代の原始の感覚につながるらしい。