地蔵盆

旧盆。あちこちで地蔵盆が行われる。灯籠の灯りがゆらゆら揺れて、寂しげに見えてしまう。奈良はほんまに暑い。昔なら、子どもは体力がなくて暑さで夏を越せない子がいたんちゃうかな。小さい子どもが元気に育ちますように、切実な気持ちでお地蔵さまに手を合わせる。

各地の祭は、その土地の風土に合っていて、その土地に必要とされる時期に合わせて行われてきた。そういうことを感じる。

働くことを考える

3.11以降の働き方を考える、という言葉に違和感をもつ。震災の前から、未来の働き方をしてきた人たちがいる。『いま、地方で生きるということ』を読んでいると、以前から見知った人、注目していた人が登場している。彼らの仕事観は、以前からずっと独自の世界という気がする。

中学生の時に読んだ吉野源三郎君たちはどう生きるか (岩波文庫)』を思い出す。コペル君はおじさんに「世の中には作る、運ぶ、売るの3種類の仕事がある」と教わる。私自身は、その言葉に影響をうけてきた。世の中の仕事はその3分類に分けられると思ってきた。

でも、その分類は意味を成さなくなっているのだと思う。社会の仕組みが大きく変わる中で、仕事のジャンルは増えた。それを自覚しているある種の人たちが、3つの枠にはまらない働き方をしている。それだけのことやと思う。過渡期やからうまれている仕事なのかもしれない。

KATAGAMI Style展

KATAGAMI Style 膨大な数の型紙!花鳥風月、吉祥文様。日本の意匠は豊かやと思う。特に格子など、シンプルな直線の作る文様が、緻密で、細やかで、なのになぜかゆったりしている。ゆったりしているのは、大事なことやと思う。日常の美の中に、洗練の厳しさはいらない。江戸時代の女性たちは、型紙の見本帳を見ながら、着物の柄を選んでいた。

日本に影響を受けた、アメリカやフランスの家具、ガラス細工も細やかで素晴らしかった。

盆踊り

毎年、十津川の盆踊りに行く。今年は、ちょっとマジメな話し合いの時間あり。よそから来て、山奥で毎年過ごす私たちが、十津川や盆踊りに求めているものについて。それは何なのか、という話。

私自身は、地元の人たちが物を大事にすること、美しいものを愛する感じが好きなんやと思う。私の日常から抜け落ちているものを、ちょっとしたことで感じるから安心する。あぁ、大事なことはちゃんとぶれないで続くんやな、と思える。それは小さなことで、例えば櫓を飾る布とか。提灯を紙製のもので作るとか。きっと何年も同じ物を使っている。提灯なんて、作り直す時にビニール製のサンプルも取り寄せたらしい。でも「やっぱり風情が違うわな」と紙製に決定。そういうひとつひとつを、集落のみんなで決めている。そういうひとつひとつに美しさが宿る。

昭和、豊かな庶民文化

世代のことを考える。テレビで見た昭和の歌謡番組は、本当に食い入るように見てしまった。見ていて初めて、自分の世代に生まれたことを良かったと思った。バブルの時に小学生、阪神大震災オウム事件の時に高校生。思春期の間、社会の価値観の変化を見続けて、そのまま社会人の最初の10年を乗り越えてきた。時代が明るい未来に向かって進んでいたわけではないから、鈴木謙介氏の言葉を借りれば「自分たちだけが割を食った」感を強く持ってた。今でも心のどこかにそんな気持ちがある。

でも、小さい時は昭和の豊かな庶民文化に囲まれて育ったんやな。高度経済成長期以降に急発展した家電、広告やデザイン、和製の音楽や小説、映画、すべて昭和後期に成熟している。西洋化、近代化を目指して明治の頃に取り入れられたものが、80年弱かけて和製に昇華された。

それは消費と結びついていたかもしれないけど、庶民がみんな豊かに文化を取り入れられるようになったことに変わりないと思う。

夜、大阪でIさんとF兄と。なんやここ!という飲み屋は、そういえば昭和のイメージ。おいしかった。