音楽を考える

年末に中島みゆきの「地上の星」を大音量で流している街宣車に何度か出会った。ニュースにもなったらしい播磨屋のトレーラー。周りの音が何も聞こえないような大音量で、ちょっとただならない感じやった。思想、表現方法、いろいろ疑問はあるけれども、それよりも歌の力ということを考えてしまった。

中島みゆきは、彼らの思想に沿って歌を作ったわけではない。当たり前のことやけど。でも、彼女の気持ちとは離れて歌が一人歩きして、強烈な思想を持つ人の気持ちまで動かしてしまった。街宣車の人たちは許可を得てるのか得てないのかしらないけど「地上の星」が、なんというか彼らのメッセージを世に伝える時にテーマ曲になると思って選んだのやろう。本当にただならない感じやったので、そういう人たちをつき動かした力ってなんかすごいと思った。

聞くって何か。

哲学、医学、心理学などどの立場から見るかによって答えは違うと思うけれど、いずれにしても”聞く”ことはかなり個人的な体験。特に音楽は、人の記憶や思い出と結びついて、いろいろな方向に転化する。

例えばの話、”癒し系”として売り出されているクラシックの曲に涙する人がいる一方で、その曲の演奏が下手だと言って強烈な不快感を感じる人もいる。ゲーム音楽を聞くだけでワクワクする人がいる一方で、ゲーム用のアレンジだけでうるさいと思う人がいる。

時代、恋愛、生活スタイル、旅と日常、いろいろなものに密接に結びついて、いろんな感情を喚起させるのが音楽。ましてや詞が入っている歌は、声の力もあるので、一瞬にして人の心の何かに響く。たぶん、何か狂わせてしまうことも含めて。

ミュージシャンたちは、そういうことを引き受けている人たちなわけで、すごいことやと思った。