地域メディアを考える

ディープ奈良のおじいちゃん家に遊びに行かせてもらった時に、昭和5年〜の市民だより(のようなもの)を見せていただいた。人の誕生や死去、地元のお茶産業について、海外からの客人について、個人的な「今年の目標」、料理レシピなど当時の生活をかなり詳しく想像できる面白いものやった。それ以外にも地元の情報誌のバックナンバーがたくさん。じーちゃんは伝統芸能の保存会の方なので、あかい奈良ほか地元メディアがいろいろ取材にきている。それを彼はきちんとファイルしていて「○○に載ってんで」と嬉しそうに一つ一つ説明してくれた。


ファイルには、地元で出土されたものの記事とか地元の歴史を伝えるものもかなり整理されていて、じーちゃんの興味が地元の歴史にあることはすごくよく分かった。めっちゃ勉強してはって、伊勢とのつながりとか宗教的な話もいろいろ教えてくれたし。話を聞いて改めて分かってきたけど、奈良の人にとって地元の歴史は“隣近所の○○さん”と同じくらい身近なものなんやな。まぁ私だってそうやけど、知っている場所の池から土器が出てきたら、どんな暮らしをしてたんやろうか?とやっぱり興味はわく。


それからさらに思ったのは、地域メディアは「隣のアイツはすごい奴らしい」というのが一番の情報なのだということ。奈良の場合は隣のアイツが歴史的なものである場合も多いけど、近くに住んでいる人がどんな人なのか、どんな活動をしているのか、そういうことこそ暮らしの中で一番大切。


私が最初に働いてたのは京都経済新聞社。どうして社長が日経新聞をやめてまで地域経済紙を作りたいと思ったのかやっと分かった気がした。人の取材をしろ、人の顔が見えるようにしろと何度も何度も言われてたけど、そういえば確かに人を取材することが一番の情報になるんやな。今は私はシブヤ経済新聞が面白くて毎日見ているけれども、人の顔はちょっと見えにくい。それってちょっと大事なことなんやと思う。