オノ・ヨーコ個展「Colours of the Globe」

ギャラリー360°にて。今回の作品は、白い地球儀と5色のペンが用意されていて、参加者が地球のどこかに思いをはせながら、その場所にメッセージを書きこむというもの。彼女が何十年も前から発表し続けてきたインタラクティブアートの手法で、作品自体は彼女らしくて良いと思う。でも、書き込まれたメッセージを見てなんというかゾッとした。地球の各地へのメッセージが数多く書かれていたのやけど、あまりにもマーケティングちっくに乗っ取られた言葉ばかり。正直本当にびっくりした。


地球温暖化も世界平和もとても大事やとは思うけれども、恋よりも自分がモテることよりも自分の身の回りの生活よりも大事なのか?本当にそうなの?みんな揃ってそうなの?


世界の平和に思いをはせるって、世の中が消費に浮かれて自己中心的な時代には大事なメッセージやけど、こんなに世の中が苦しい時にはちょっと滑稽なんやと思った。いや、オノヨーコのメッセージには意味があると思う。普通の人の何十倍もの感性で苦楽を味わって世の中のことを知ってて、その上で世界平和を考えてると思うし、流行に流されずに世の中にナイフをつきつけることこそがアートの役割。それを自覚的に作品を発表してきた素晴らしいアーティストがオノヨーコやと思う。受け手だって、これまではその緊張感を持って作品を受けとめてきたと思う。


でも、今みたいな時代に、苦しいまっただ中の人達が(私と同世代の若い人)マーケティングなものに犯されきった上で作品を受けとめると、なんか痛々しい。時代の流れの偶然とはいえ、今回の個展ではそういうことが見事に現れてしまったと思った。


自分が苦しいことには気づかず、地球のさらに貧しい人のことを思っておとなしくおとなしく生きているって、動物としてなんか気持ちが悪い。変やで。自分たちが苦しい中にいるってことを自覚してるならともかく。怒りのほこさきは世界の貧困へ。そうやって目をそらされて、言葉としては気持ち良く自分たちが良いことをして、でも実は自分たちが大変だということを肌感覚で意識してない感じ。


世界の貧困を考えよう、エコな生活を、って、本質的な意味ではともかく、多くのものはマスコミが意識的に作ったもの。だってそのあたりのテーマが一番売れるもん。


売れるから作ってるのやけど、ま、考え方として真実のところはあるし、宗教みたいなものなのでそういう考え方自体は否定しない。信じるのは人の自由。それで信じる人の幸せが守られるうちは私はそれでいいと思う。でもあえて感情的なことを書くと、若い私たちがその宗教にはしるほどの余裕があるのか?


日本が豊かな国だと言っても、若者はそれほど恩恵は受けてないからね。バブルの時代を味わった人達は、動物としてもっともっと図々しくタフなのにその人達が今「世の中は不況になった、大変だ大変だ」と騒いでるだけ。それを知らずに育った年代が大人のことを気にできるほどの武器は持ってないし、そんな年上の人達を気遣ってられるほどの余裕ないはず。何をのんきに踊らされてんのよ、と思う。


同世代の男友達と話してると、自分たちが草食動物だと思う、と言う。そんなことはわざわざ言われなくても女子はずっと前から知ってました。全然生命力がなくて魅力はない。というより、どんなに気心知れてる友達とはいえ、一応女子の私たちの前で、女性たちを喜ばせる気概もなく、俺たちは草食動物だかなんとなかマーケティングで作られた隠れ蓑をひけらかしてるなんて、そんな聞き分けのいい言葉を私は認めません。大人たちが作ったネガティブな用語を素直に受け入れて、自分たちのことを語るってどうよ?????!!動物として気持ち悪いよ。


昨日の夜に、勝間和代ブームの気持ちの悪さのことを話していたせいで、やたら戦闘的な気分の私。はからずもオノヨーコ展でそんなことを感じてしまった。


渋谷区のわたしの家では、さっきからヘリコプターの音が鳴り止まない。飯島愛さんの取材やと思う。ファンやったのでめちゃくちゃ悲しいです。心から冥福をお祈りします。